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覚醒せよ、本能

 

 土曜日。月光館学園の学生が帰宅に使うモノレールに、私たちS.E.E.S二年生組も乗っていた。
 まだまだ日は高い。夕べの雨が嘘のように晴れ渡る青空、快晴の太陽がきらきらと海を照らす。大きな窓には光の反射する海面が見えていて、眩しさに目を細めた。逆光を背負った岳羽ゆかりの顔が僅かに陰っている。
 同じ制服がひとり、ふたり、車両の殆どが学園の生徒なのだけど、彼らと私たちの抱える背景はぜんぜん違う。ゆかりだけが座っている理由も、世間一般の"高校生"からは想像もできないほど、途方も無い理由からきている、部活動で筋肉痛、なら、どれだけ平和的な原因だっただろう。
「なあ、ッチ。今日タルタル行っとかない?」
 ぶらり。子供のように両手でつり革に捕まった伊織順平が帽子の広い鍔の間から見ている。やや下向いた目尻、くるりくるり表情の変わるそれはとても好ましい。ただ、ゆかりはたまに本気でムカつくみたいで。
「ハァ〜?超ムリ。パスいち」
 前日のタルタロス探索で最も疲労を溜めたのは他でもないゆかりで、その原因の一端を作った私は恐縮した。
「うぁー、レベル上げついでにレア宝箱探し過ぎたからだよね、ごめんね」
 しかも結果的に見つからなかったから、レア武器を求めたテオドアを恨みたくもなる。
「えっ、違うでしょ。だって一緒に回ってたし、私の鍛錬が足りなかっただけ」
 六月の満月で待機組に残っていたゆかりは、自分だけレベルが一つ低いことを気にしている。自嘲げながらも、驚いた顔でスパッと否定してくれた。とても女性的な面立ちをしているのに裏表の無いサバサバした性格で、彼女がそうと云うなら疑うことも無いだろう。
「大体ね、順平は昨日のタルタロス登ってないから暢気なのよ!」
 ゆかりの矛先はずっと順平に向かっている。確かに、夏を目前に控えたタルタロスは敵も強くなってきているし、脱出ポイントも見つかりづらくなっているようだ。何より、番人までの階層の幅が広い。毎度、山岸風花は「一体いつまで続くのでしょう」と嘆いているほどである、実際に上っている自分たちの焦燥は益々だ。
「いや、だってしゃあねぇじゃん!魔法弱点のヤツ多いんだしょ?俺、専門外じゃん」
「じゃあ、真田先輩って凄いんですね」
 ほわん、と空気が和らぐ風花の声。順平とは反対側を向けば、少し下にある視線と目が合う。件の満月時、タルタロスから救出した女の子で、今では立派な戦力だが、彼女と私たちは同じ学年というだけで今まで接点が無かった。それ故彼女自身も寮の人間についてまだ深く知らない。
「真田先輩って、攻撃に補助スキル、物理攻撃って使えるから……」
「あの人の場合、ペルソナ使わなくても強いし?」
「俺も。張り合える土俵にゃ立てねェなあー」
 12のペルソナを一度に宿せる自分とは異なり、真田明彦先輩はたった一体のペルソナで多様なスキルを持ち合わせている。それは彼自身の精神力と、体技からくる能力なのだろうか。
?どうしたの、駅着いたよ?」
「え。嘘、ごめん」
「も〜が出てくれないと私立てないんだからねー」
 軽口で諭しながら、ゆかりは視線で大丈夫かと問う。人当たりが良いと云われる笑顔をへらりと浮かべる。笑顔の裏では、同じ疑問が湧いていた。
 真田先輩の強さ。精神力と体技――だけ?本当に、それだけ?

 むしろ。
 誰よりも、"守る"ことに重きを置く人だと分かってきたから。
 ひとつしか無い身体で、他人よりも多くのものを掴もうともがいているのではないか。

「今夜のタルタル無しになるなら、ワックでも寄ってかね?むしょーにポテト食いてぇ」
「えー、太る。……まあ、シェイクくらいなら、いっか」
「わ、私も、新しいセットのCMしてて気になってたの」
 話題はとっくに移っていて、もう誰も先ほどの話に触れることはなかった。なんとなく、三人の輪から微妙に外れている気分ですぐ後ろを歩いていると、前を歩く背中にトンとぶつかる。余所見していて気がつかなかった、順平が立ち止まったのだ。
「ちょ、じゅんぺ、イタイじゃん」
 見上げるほどの身長差は無いが、やはり男の子の身体は真正面からぶつかるとちょっと痛い。こっちの無用心も棚上げして文句を云うのも、順平だから許してくれるかなと思ったら、彼はちょっと呆れた顔で商店街の入り口を指差した。
「噂をすれば、だぜ。真田サンだよ」
「え」
 ゆかりと風花はワックの自動ドアをくぐるところで、真田先輩を見つけたのは私と順平だけだった。日焼けした指の指すほうを、何となく向きづらい感情が胸の辺りをぐるぐるしていた私は、そっと横目で伺うだけにする。
「ロードワークの最中に捕まった、ってカンジ?アレ」
 笑って云う先の先輩は、二人の女子に両腕を取られんばかりに挟まれていて、その表情は硬く、居心地が悪そうだった。
「あーあー。トレーニング中に話しかけても相手にされるわきゃねーのに。なあ?」
「……そうだね。初めて一緒に帰ったときも、途中からランニングになったもん……」
「まぢで。それ制服?オンナノコを制服で走らせるってアノ人ナニモン?オトコなの?」
 流石真田先輩、不思議な人だな。順平は楽しそうに笑い、ワックのレジに並ぶ仲間を見つけると腹の虫が鳴いたのか、ワックが俺を呼んでるぜッ!と颯爽と駆けていく。その声でだろうか、真田先輩の視線が女の子たちの頭上を越えて、こちらを向いたのだ。
 咄嗟に、どこかに身を隠さねばと回避本能が働いた。
 あからさまな安堵の表情と、声を張って私を呼ぶ先輩。だから、それは拙いんですってば、先輩。ほら見てよ、さっきまで先輩を見て頬染めてた女の子たちの般若顔。その顔そのまま先輩に向けてよって叶わない願いを心の中で叫んだ私は、愛想笑いの会釈だけで場を去ろうとワックへ足を向ける。居ないほうがいい。「目で殺す」という攻撃があるなら、私は何度だって殺されていることだろう。
 しかもそれは、決して自信過剰になったり、自惚れたりできることではないのだ。
 幸い距離が離れていたことで、さっさと俯きファーストフード店の入り口を抜けた。列の先頭に居た順平が、やっと来たと笑いかけてくる。やんちゃな笑顔に、少しだけ癒された。順平の笑顔は、凄いね。
ッチどしたん、遅かったじゃん」
「もう。捕まるトコだったんだからね〜。敵前逃亡は武士の名折れよ、順平」
「うははナニ時代だお前。だって居たくねェじゃん仕方ないじゃん。前のセットでいい?奢るから許して」
 先に座ってろよ、優しく云われて頷く。ゆかりと風花の座る四人掛けの角、商店街を向いた大きな窓の見える場所に腰を下ろして、そろそろと視線を彷徨わせた。女の子たちも、真田先輩も居なくなってた。
 良かった逃げれたんだ、そう安心していい筈なのに心の中はまだもやもやしてる。古い床板がキシキシ鳴るみたいに、踏み所を外せば一気に足元が抜け落ちそうな感覚。きしきし、音を立てる心。これが何なのか、私はまだ言葉にできない。できそうにない。
「……リーダー、顔色、悪いですよ。大丈夫ですか?」
「来るの遅かったけど順平にナニかされたんじゃないでしょうね?」
 ガルーラ食らわせて来ようか?と洒落になっていないことをゆかりが腕まくりをして云うものだから、その男前な格好を落ち着かせようと手を振る。
 何でもない。
 なんでもない。
 繰り返す言葉は、まるで自分にいい聞かせているように聞こえて、歯がゆい。
「……ヤダ。ちょっと、本当に、大丈夫?」
 こそり、声のトーンを落としたゆかりが顔いっぱいに不安を溜めてそっと手を握ってくれた。温かい。柔らかい。ゆかりのつけてる香水の爽やかなフレグランスが鼻先に香って、その優しさに心が折れそうだった。ああダメだ、優しくされると弱い。取り繕う笑顔も、きっと弱い。情けない。
「ごめん、大丈夫。情緒不安ってやつ?ほら、シシュンキだし」
 正面に座る風花越しの商店街、行き交う自転車と人の流れの中に銀髪の先輩は居ないけれど、虹彩に刻まれた染みのようにふわふわそこらへんを漂っているよう。
「もう……無理、しないでよ?」
 それは、例えば桐条先輩が使うように言外の含みは無く、リーダーではなく友達に対するそれだった。膝の上で重ねた両手の上に添えられたゆかりの左手、なんて温かいんだろう。
 私が頼んだセットと、ハンバーガー二つにポテトのLサイズ、百円のアップルパイとチキンを乗せたトレイを持って現れた順平は、幸いなことに私たちのやり取りは見えていなかったらしい。クーポンもらっちったーといつもの楽天的さ。救われるなあ。
 加入したばかりの風花を中心に話に花が咲き、シェイクだけと云っていたゆかりもセットを頼みたくなるほどの時間を四人で過ごした。その内、私の心は何事もなく落ち着き、すっかり先ほどの光景を忘れていたというのに、寮に戻るともう一波乱待ち構えていた。



「皆さん、今日はタルタロス探索はありませんからゆっくり休んで下さい」
 帰宅後、すでに一階のラウンジに姿のある三年生と、一緒に帰ってきた二年生らに向けて改めて夜の予定を述べた。私は自室へ戻る三人の背中を見送り、一人入り口に置かれた入寮者名簿に一日のことを簡単に記帳する。寮に戻ってくる前に皆に付き合ってもらって購入した武器や防具名、合体したペルソナ、あとは……ボールペンを顎下に、ちょっと考える風に視線を上向かせたところで、ようやく隣に立つ人の存在に気がついた。
「先輩」
 驚いた、さっきまでラウンジ奥のカウンター席に座っていたと思ったのに、何時の間に隣まで来たんだろう。
 トレーニング後にシャワーを使ったのだろうか、肩にタオルをかけた先輩は、まだ少し濡れてる髪を気にもしてない。風邪ひいたらどうするんだろう、注意してもどうせ「そんなに軟弱じゃない」とか返ってくるんだと確信的に考えて、私は当たり障りなく訊ねた。
「どうしました?」
 寮内で、学校でもだがこの先輩が自ら話しかけてくるときは大抵がタルタロスないし満月の作戦に関係することが多い。何か急用だろうか、必要な備品があるならもう一度外に行かなきゃ、などと思考を巡らせながら彼の言葉を待つ。
「………」
 しかし、真田先輩は薄い唇を僅かに結び、するりと視線を外した。ため息ともいえない吐息が含まれたそれは、言い淀んでいるとか、ためらっているという表現が似つかわしく、常に直球を投げてくる彼にしては非常に珍しい仕草だった。ボールペンを入寮者名簿に挟み閉じると、私はきちんと向き直る。
「何か必要なものとかですか?今からでも全然出れますよ?」
 もしかしたら帰宅したばかりの自分に頼むのは憚られると思っているのかも知れない、と気を置かなくていいことを伝えるが、真田先輩は小さな声で「いや、」と呟いた。
 ぽたり。短い前髪から滴が落ちる。カットソーの上に落ちた水滴は小さな、ごく小さな染みを作った。私はそっと笑い、横向いた先輩の肩からタオルを抜き取る。首筋に触れて離れたタオルの感触を不思議に思った先輩がようやくこちらに顔を向けると、その頭に奪ったタオルを乗せた。
「まだ濡れてます。風邪ひいちゃいますよ」
 ムッとしたようでもない、ただ純粋な驚きを瞳に宿した真田先輩は、ぽかんと口を開けて私に頭を拭かれる。濡れた髪のぱさついた感触がタオル越しに伝わってきて、まるで大きな子供を持ったみたい、両親すらもちっちゃい頃の事故で喪っている私には懐かしさも感じない行為だけど、心はあったかくなる。ある程度水分を吸い取ったことを確認して、先輩の頭からタオルを取った。あっちこっちにはねた短髪が幼さを伴い、思わず「可愛い」ともらしては、先輩の眉がきゅうと寄せられたことにしまったと口を噤んだ。
 片手で髪をかきあげて形を整えた先輩は、微かに朱に染まった頬をタオルで押さえて、眉を寄せたまま私を見下ろした。
「具合が悪いのは、お前の方なんじゃないか?」
「え?」
 コンディションは通常通り、疲労でも風邪でもない。むしろそれはゆかり、と云いかけて少し、どうしてそう思うのか気になった。
「どうしてですか?」
「今日……」
 記憶を辿る視線、今日という単語の指す方向がハッキリと見えて、反射的に指先が跳ね上がる。
「様子がおかしいようだったから、てっきり、昨日の疲れが溜まっているのだと」
 その言葉に重ねられている思いは、戦闘要員に向ける心配?不安?
「あれは……困ってるのは、分かったんですけど、睨まれるのが怖くて、その……」
 私の勇気は漢並だと順平に笑われたことがある。土台おかしな話じゃないか、タルタロスでは先陣をきってシャドウ討伐に突っ込む私が、たかだか女子高生の群れが怖いだなんて。ううん、精神攻撃しかして来ない相手ほど怖いものもない、っていうことかも。そう、まるでデビルスマイルで恐怖状態にされた挙句に亡者の嘆きで即死にされるカンジ。女同士の醜さは、よく知ってるから。
「それだけ、か?」
「う、うん。そうです」
 クールだと評される彼は、実に表情に富んでいる。女の子たちの頭上越しに私を見つけたとき同様の、ううん、もっと大きな、明らかな安堵の喜色をゆっくりと浮かべるのだ。この表情は以前にも一度だけ見たことあった、あれは。
「………順平と、一緒だっただろう。だから、もしかしたら呼びかけて迷惑だったんじゃないかと、な。気になってたんだ」
 良かったよ、そうじゃなくて。ほのかにはにかむ先輩は、前に順平との関係を否定したときのような安心を見せていた。唖然とするのは、私の方だったが、理知的に吊り上った眉根を朗らかに下げた真田先輩は、自分の言葉の意味を深く考えるでもなく去って行く。こっちの気も知らないで、云いたいことだけ云って―――

(……こっちの、気?)

 根も葉もない噂と知りながらも私と順平の関係が気になって仕方ない、なんて甘ったるい感情が横たわっていたとしたら、私は嬉しいのだろうか。これは、期待というのだろうか。いつも沢山の女の子に囲まれていて、校内の女子の誰一人として彼のことを知らない人間などいないほどの人気を誇る先輩が、自分ひとりを気にかけているなど。どこの、少女マンガの世界のことだ。ありえない。こっちの気もそっちの気もない、期待――と呼んでいいだろう、そんな寂しい空回りの感情なんて持ちたくない。
 昼間、真田先輩から逃げてしまった理由なんてとっくに分かってる。
 私は見たくなかったのだ、彼が、女の子たちと一緒に居る姿を見ていたくなかった。嫉妬、そう、嫉妬だ。人間の持ちえる感情の中で殺意以上に醜い感情変化。こんなのに付ける名前が、好意だなんて思いたくも無い。

(真田せんぱいは、惨酷な人だ)

 テオドアからの電話を着信するまでの間、足の裏がぴったりと床にくっついてしまったように動けなかった。落ちていく感覚を味わいながら、暫くの間、真田先輩が去っていった階段への廊下をずっと見ていた。
 やっぱり今日はタルタロスで気分発散するべきだったなあと、後悔しながら。

P3P処女作。高校ん頃の恋愛なんて思いだせるかww
こんな話が読みたい、という要望御座いましたら拍手よりどうぞ。