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感情の針が振り切れる

 

 カチ、

 目覚まし時計が鳴り始める瞬間の機械音。満月の作戦後など泥のように沈み落ちる深い眠りのとき以外は、私はこの音だけで目が覚める。夏合宿のときは携帯電話のアラーム音が鳴る前だったか、それがあまりにも的確で、正確で、腹の中に鶏を飼っているんじゃないのと揶揄されたほどだ。
 半分まどろみに溶けた思考が少しずつ平常の形を作り始めると、目蓋の裏側が真っ赤に燃えるほどの陽光を感じた。ああ、すっごいイイ天気。影時間を体感してからというもの、毎朝の訪れすらも些細な喜びに変わっていて、真夏すらも虫が鳴くことのない影時間の夜を思えばこそ、雀の囀りが愛しくもなろう。

 ピピ ピピピ ピピピピピ、

 段々と激しさの増す目覚まし時計のアラーム音。肌寒くなってきた十二月、目覚めは良いが布団の温もりが心地良くてもう少し包まっていたくなった。掛け布団から腕だけをにょきりと突き出して、ぱたぱた、枕元を探る。格子状のベッドヘッドの向こう側に、目当ての物を探す。寝る前はいつもそこに時計を置く習慣があった。
 その間も時計はけたたましく鳴り続けていた。
 うう、今止めるからちょっと待って。おかしいな、全然指先にぶつからない。それどころか、触れるのは何だか、もっと長くてゴツゴツしてる。これは、何?
「……あれ…?」
 仕方なしに目蓋をこじ開けると、目の前には机の脚とデスクチェアが見えた。カーテンの隙間を縫って朝日が肩の上を照らしている。状況の非日常的な変化は、すぐに分かった。ちなみに、私が触っていたのは金色の大きな優勝トロフィーだった。このような物が置いてある部屋、寮内には一人しか居ないんだろうな。
 今の自分が置かれている状態を理解すると、机の上(私の部屋にはこんな場所に机は無い)にあったらしい目覚まし時計を掴む第三者の手。それは、私の真後ろから真っ直ぐに伸ばされていて、幽霊でもなければゆかりの部屋で雑魚寝したときとも違う。
 おとこのひとの、腕。
 カァ、と頬に駆け上がる血のめぐりを感じたとき、アラーム音が止んだ。
 床上に敷かれた真紅のカーペット。その上に広がる、洋服の、波紋。ぶわっと湯が沸騰するように色々なことが甦って来る。どうして思い出せなかったのか不思議なくらい、劇的に、さまざまなことが変わった夜が終わったというのに。ああ、嗚呼。こういうときどうしたらいいんだろう、やっぱり、
「……は、よう、ございます」
 尻すぼみする言葉を繋ぎ合わせて、そろそろと掛け布団を鼻先まで持ち上げながら腕の主を振り返った。早く顔洗いたい歯磨きたい、綺麗にしておきたいと願いながらも、存在を確かめておきたかった。あれは夢だったんじゃないかと、その顔を見なかったら信じられないのだ。
「……おは、よう」
 すると、私と同じくらいどもりながら返事をしてくれる声。掠れていていつもよりも低いけれど、私は覚えている、この声が夕べ何度も何度も、愛を紡いでくれた。
(ひゃぁぁぁあぁぁ何考えてんの私朝っぱらからッ!)
 心頭滅却すれば火もまた涼し、ならこの場合どこをどう冷やせばいいのか頭かそれとも身体か、か、身体……いやいやいやだから!だからネ!大変です、リーダーが魅了されています。誰かチャームディを!風花の叫ぶ声が聞こえてきそうだ。
「……?」
 とうとう彼を確認することなく布団を頭まで被ってとりあえず身を隠そうとすると、戸惑った指先が布団に食い込む私の手を優しく解きほぐした。ちょっと冷たい指、特徴的な固さの手の平。その手はもう、私の身体を私以上に知っているんだと思うと、
「せんぱい…」
「ん?」
「私、ちょっとティターニア装備しますから、軽くジオダイン撃って下さい」
「はあ?!」
 ベッドヘッドの格子には二人分の召喚器がガンホルダーに入ったままぶら下がっている。何が起きてもいいように、とそんなことができた余裕も今は懐かしい。そして先輩だって顔を真っ赤にしていたくせにもう立ち直っている。自分以外の誰かが取り乱していると人間冷静になれるものだけど、こういうときにまで適応されるなんてそんなのズルい。
「……お前なぁ…ティターニアって、電撃が弱点だったんじゃないか?」
「一回瀕死になっておかないと立ち直れません」
 レベルを最高まで育てたカエサルの放つジオダインならば、いい具合のショックを与えてくれそう。先輩自身のパンチでもいいけど、打撃系は痛そうだから却下。
「もー……夕べの内に帰っておくべきだったー……」
 私今日学校休む。サボタージュします、自主欠席します。畳みかける言葉に、空気が僅かに震えた。ああ、笑われたんだ。
 ムッとしたのと、幾ばかりか余裕ができたこともあって布団から顔を出せば、枕に片肘をついてこちらを見ている先輩と目が合った。長い睫毛、白い肌、朝日を浴びた特徴的な銀髪が光に滲む。初対面のときは、彼がこんな顔をすることがあるなんて想像もしなかった。柔らかく細められた瞳には、慈愛。
 誰かに愛された経験の薄い私には、それはずっとずっと、焦がれていたもののように映って思わず、じっと見つめてしまった。
「まあ、一緒に学校を休むってのも良い案だとは思うが……いいのか?」
「え?」
 深く布団に潜り込んだことであっちこっちにはねた髪の毛を、真田先輩の指が一本一本確かめるように梳く。さらさらと指の間からすり抜けていく感触を楽しむ動作に続いて、彼は意地の悪い笑みを見せて云う。
「昨日、お前のクラスまで迎えに行ったことで、もう皆に知られてるんじゃないか?」
 お前と、俺が、昨日ずっと一緒だったこと。
 言葉のジオダイン、大変ですッリーダーが!風花の声が遠い。そういえばそうだ、どうしてよりにもよって今年のクリスマスは二日間平日にあたっているんだろう。初めて先輩から放課後の迎えが来た日が、よりにもよってクリスマスイブだなんて。寮内の全員を連れて行くなら分かるけれど、あのときクラスに居た順平とゆかりは呆れながらも笑顔で見送ってくれたのだ、誰もが私と真田先輩の二人きりだと気が付いたことだろう。
 男女が二人でイブを過ごすなんて、大抵の場合は……そういうことだ。
「怖ッ!ガッコ行くの超怖い!」
 真田先輩のプライベイトのことを聞いてくる女子はクラスに何人も居る。特に、一人熱狂的な子がいたことを思い出す。以前、幾度となく牽制をかけられてきたのに、まんまと真田先輩を手に入れてしまった。ハハハ、ジオダインじゃ済まない。こりゃハルマゲドンかメギドラオン、良くても明けの明星もんだわ……。
「すまん、俺も軽率だったな」
 彼は最近になってようやく、自分に彼女ができることでその人にどれだけの災難が起きるか想像できるようになってきた。幸いなことにクラスにはゆかりと順平、部活では理緒(と、たまに裕子)が居てくれるから、学校内では滅多に一人にはならない。けれど、ほら、呼び出しとか?そういう少女マンガにありがちな「主人公がんばれ!」的な展開とか、あったりするのかな、って。それでそのライバルが実は良い子で新しいコミュニティの発生……なんて、あるわけない。
 申し訳無さそうに声のトーンを下げる真田先輩は、さてどうしようかと今更になって私の心配をしているみたいだった。ごそりと布団の中から両腕を出して頭の後ろで組むと、思案に天井を見上げる。どちらかといえば気難しい顔をしているときの多い人、けれどその考えの中心に自分が居るんだと知ればこんなに嬉しくなる。現金というか、私も女だなって苦笑。
「あきひこ」
 よっつの音、目を瞑っていた彼はパチリと目を開いてそのままの体勢で顔をコチラに向けた。
 よいしょ。身体を起こして真田先輩の上、絞られた体躯に手を置いて、そっと唇を重ねる。触れ合うだけ、唇の端に落とす親愛のキス。
「嬉しかったから、いいよ」
 思えばずっと、ずっと、彼は自分の良い人なんだよって自慢して歩きたかったんだ。聞けば中学生の頃からずっと女の子に追い掛け回されていたという真田先輩を、私が、私を選んでくれたことが信じられなくて嬉しくて、「クリスマス、真田先輩と過ごしたいよねー」と云っていたクラスの女子がどんな顔で私たちの背中を見送ったのか知りたくて。うわあ性悪、って思うんだけど仕方ないじゃない?きっと誰だって、持ち得る感情。ゆうえつかん。
「お昼は一緒にご飯食べたいなとか、放課後先輩から迎えに来てくれないかなとか。私ばかり会いたがってるのかなって、ちょっと不安だったから」
 可愛いワガママだと思って欲しい。女の子が望むことが分からない真田先輩の疎さ、鈍さだって愛しいんだ。もしも彼が女性との付き合いに長けていたら、私はきっと心のどこかで幻滅していたと思う。なんて、いつも女の子に囲まれてる人が今までキスすら未経験だってことの方が普通は問題なんだろうけどね。順平あたり、マジかよ!って仰け反りそうじゃない?勿論、順平は知らないんだけど。真田先輩がキスもセックスもしたことの無いまっさらな人だった、なんて。実は私も、本人が云うまでは信じられなかった。
「………どうせ、バレたしなあ…」
「うん?」
 先輩の肌ってどうしてこんなに白いんだろう、夏場のランニングも欠かさないから日焼けしていそうなのに。順平の方がずっと黒いよね、あのコの休日なんて家ゲームばかりなのに。元々焼け難い体質なんだろうか、真っ赤になってすぐ元に戻るとかそういう。羨ましいなあ。
 影時間の中で触れ合った夕べ、当然ながら電気の点かない中での行為だった。真田先輩の上半身はこれまでに何度か見たことがあるけれど、ベッドの上って、ね。違うよねやっぱり。
「これからは昼、一緒に食おう」
「いいの?目立つよ、きっと」
「いいさ。俺があまり一人で居るから、いけないのかも知れない」
 それは一理ありそうだ。所謂ファンを公言している子たちは、テレビの中の芸能人やアイドルに熱を上げているようだ。真田先輩はみんなのもの!なんて正直バッカじゃない?って思っちゃうし。それを増長させる要因は、先輩の身持ちの固さも原因なのかも。
「覚悟きめなきゃねー」
 胸の上に頬を摺り寄せて、シミの全然無い肌の上を指先で辿る。くすぐったそうに身を捩った先輩は、そこで突然声を張り上げた。
「しまった、そろそろ起きなきゃ遅刻だ」
「ぅえっもうそんな時間なの?!」
 三年生組の部屋にはバスルームがあるから(美鶴先輩の部屋が一番広くて、バスタブもあるらしい)、シャワーだけは夕べの内に済ませた。これから自室へ戻って顔洗って、髪整えて、着替えて……、
「ぁああぁっ昨日の宿題やってない!!!」
 ガバリと膝立ちに立ち上がれば、吃驚した顔の先輩の視線がやや下に向かっていた。
 真田先輩のティシャツを借りていたから辛うじて素っ裸、ってわけじゃないけれどブラはしてないし、乱れた裾からショーツが覗いていた。己の太ももがこんなにエロチックに見えたのは初めてだった。
「……今日、サボりたいな…」
「何考えてるんですか!!!!」
「冗談だ。半分は」
 もう半分は本気ですか、と恨めし気にジロリと睨めば軽く笑われた。先輩は私の腰に腕を回して、膝立ちしている私に抱きつくように身体を起こす。ぎゅう、としがみつかれてティシャツに皺が寄った。真田先輩の頭は胸の下くらいにあって、丁度小さな子供がそうするようにお腹の辺りに顔を埋められる。子供は、私の動きを封じることはできないけれど。

 夜の尾を引いた声が呼ぶ。それどころじゃないのに、もう何もかもがどうでもよくなる声だ。この声、思えば最初っから好きだなあと思ってた。
「好きだ、
 ため息の吐息に紛れる愛情、あまりにも真っ直ぐで、少しだけ切なくなった。
 私は知らなきゃいけない。妹さんを喪ってから"大切な存在"を作ることを悉く拒否してきた人生の中で、彼が私を選んだということの意味を。「俺の腕はそんなに長くない」と云った彼、なら私は、守らなければいけないだけの存在じゃなかったからこそ、見つけてもらえたんじゃないかと。ペルソナ能力を持てたことへの感謝が、また一つ増えた。
「……私も、うん、好き、です。すごく。」
 ゆかりや順平に「愛してるよー!」って云うのとは大きな違いがあるんだ。地球が滅亡へ動いていることを知っている私たちが、この段階で誰かを愛することを覚えるなんて……許される行いだったろうか。
「……ありがとう」
 するりと離れていく腕、きちんと向き合う顔は、いつもの"真田明彦"その人だった。自信に溢れて、力を求めて前を向き続ける強さを持っていた。
 もう一度キスをして、離れがたくてもう一度。抱きしめられる腕の力がちょっと強くなって、二人していよいよもって学校に行く気が失せ始めたとき、私の携帯電話が鳴った。遅刻するギリギリの時間に鳴るよう毎朝セットしている予備用アラーム音だった。
 雰囲気が根こそぎ奪われていく感覚を味わいながら、私たちは笑ってベッドを抜け出した。先輩からパーカーとスウェット(紐を絞ればなんとか落ちない)を借りて、一晩中脱ぎ捨てられたままだった皺だらけの制服を抱えて真田先輩の部屋をからこっそり、ひっそり、足音を忍ばせて三階へと向かった。
 順平の部屋はまだ静かだったけれど、天田くんの部屋からは微かな物音が聞こえて、そういえばとても朝の早い子だったと思い出す。こんなところを見つかったらまだ小学生の彼になんて云えばいいか分からない、サササッと階段を駆け上がって、ため息。
 たった一階分がこんなに遠いなんて。
 女子の階はそれぞれ生活音が聞こえ始めていた。携帯電話で時刻を確認すると、もう十分もしたら誰かしらが朝ご飯を食べに出てくるかも知れない。美鶴先輩の部屋と、風花、ゆかりの部屋を通り越して一番奥まで辿り着く。しかし、思いの外学生鞄から鍵を取り出すのにもたついた。
「あれえ、。おはよ」
 風花と二人でクリスマスするんだと笑い飛ばしていた彼女も夕べは遅くまで語りあったのだろうか、幾分眠たそうな顔で扉から出てきた。
 声をかけられた私は、飛び上がらんばかりに身体を震わせて、見つけた鍵を取りこぼしてしまう。
「……なにしてんの」
 挙動不審な様子に訝しそうなゆかりは、一拍間を置いて、私の格好のおかしさに気づいたみたいだった。
「あ。え、あ……マジ?そういうこと?」
「みッ、」
 わあ、と顔を真っ赤に染めたゆかりを振り返って、それ以上に羞恥に晒された私は辛うじてこれだけ云う。
「美鶴先輩には、ないしょね!」
 真田先輩が粛清されそうだ。
「……ハァ…。りょーかい。…さっさと用意しなね?」
 ありがとう!と叫んだ私が部屋に閉じこもるのと、廊下で別な挨拶が交わされるのはほぼ同時だった。敬語で挨拶していたということは、相手は美鶴先輩だったのか、危ない危ない。

 ズル、

 制服と鞄を抱えたまま、私は扉に背をつけてずるずるとその場に座り込んだ。さっきまで真田先輩の部屋で寝ていたなんて、昨日と今日の朝の見え方が全く違う。こんなことが、ありえるんだ。大人になるって、こういうことなのか。経験を積んで、色んなことを覚えることが大人になるということなのだろうか。知らない朝の色も、朝の声も、友達と顔合わせることの気まずさも、同じことが二度三度続く度に慣れていってしまうのだろうか。

(うれしはずかし、あーさがえり…たまにはこんなスリルもいいわ、ってね…)

 有名な女性ボーカルの歌声が自然と浮かんだシチュエーション。急にせつなさが募って、私は抱えた制服に顔を埋めた。皺だらけのブレザーとスカートに紛れて、細長い黒い紐があったことに気がついた。
 
 先輩の、タイだ。
 
 きゅう、と心を摘まれて、私はタイの上にそっとキスをした。パーカーもティシャツにも真田先輩の部屋の香りが残っていて、じゃあ先輩の部屋には私は残っているのかなってちょつとだけ考えた。彼が私を思い出してくれる何かが残っていればいいのにって、願った。

 

 

 


 お互いに余裕を持って寮を出た通学路、気を利かせたゆかりたちの姿は無い。
 真田先輩のちょっとだけ固い声に、何ですか?と飄々と訊ねた。
「……その、部屋に、忘れ物していったから。後で取りに来てくれ」
「え〜〜持ってきて下さいよー。結構恥ずかしいんですからね、二階に行くの」
「いや…その、無理だろ。…っていうか、気づいてないのか、もしかして」
「?なんですか?」
「だから、ブラ―――、」

「あああああぁぁぁあああ!!!!!」

 顔からアギダインッ!

 私を思い出してくれる物があればとは願ったけど、よりにもよってソレ!

「明彦さんのエッチっ!もう知らない!」

 眼鏡の少年にお風呂場を覗かれたときの少女のセリフを口に、私は駅までの道をダッシュで逃げるのだった。

朝ちゅん先輩の部屋が書きたくて仕方なかったコレ書けたらもう満足(まだ2作目w)