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ここで涙流すなんて反則

 

 どろりと闇の連なる影時間。時計も携帯電話も止まってしまって今が何時かは分からない。厳密にあと何時間で朝を迎えるのだろう、一度ゆっくり、影時間の溶けていく瞬間が見たいと思っていた。それで、こうして訪れた寮の屋上。
 本当は一人で影時間の中に出ることは桐条先輩からも止められていた。それ以外の時間ならば、装備品やペルソナを揃える目的もあってリーダーである私は自由な外出が免除されている。しかし、この時間は違う。何が起こるか分からない。特に、……特に、私たちにとって瞭然たる敵が出現したことで寮には重たい影が落ちている。
『桐条先輩、屋上の鍵を貸していただけませんか?』
『屋上の?何に使うんだ?』
『今日、新しいペルソナを作ったんですけど、レベルが高くて。特訓しておかないと、問題が起きたとき対処できないかな、と』
『……わかった。大掛かりな魔法は止してくれよ』
 かすかな笑みは寂しげで、冗談に隠し切れない憂鬱がハッキリと見えていた。いつも凛然と佇むなだらかな背中も、今日だけは小さい。彼女にとっても、"彼"のことは大きな穴となってしまっているのだろうか。
 古いホテルを改造した寮の鍵は、何れもデザインが古めしくてお城の鍵のよう。ベルベットルームで貰った鍵に、ちょっとだけ似ていた。

 十月初頭、そろそろ気温が低くなり始める頃。季節的な夜風はしかし、影時間の中では吹かないのだ。季節も天気も飲み込む漆黒の闇、その代わり煌々と存在感を放つ欠けた月。星々の光を吸収して輝いている。
「見下ろさないでよ」
 明る過ぎて厭になる、剥き出しのまま持ってきた召喚器をいつものように構えて、私はゆっくりと引き金を引いた。
「……おいで、サンダルフォン」
 パタパタパタ、――チュニックの裾がはためき、青白い光の渦が足元から巻き上がる。そして、姿を現す大きな翼を持つユダヤ伝承の天使。
"汝、望みを述べよ"
 彼らの言葉が分かる、というよりは直接脳内に語りかけてくる感覚。呼び出された天使は、月のアルカナを持つペルソナの中で最も強い力を宿している。
 "彼"のことがあってから訪れたベルベットルームで、いつの間にか作れるようになっていた。"彼"と夜通し話したり、ご飯を作ってもらったり、パーティをしたり……時計を、貰ったり。ただ何でもない日常を過ごしているだけのつもりだったのに、"彼"にとって私という存在はとても強かったみたい。深く被った帽子の間から見える瞳の色が段々と優しくなっていたのを思い出す。たまに年相応の少年の顔をしていたけれど、終始、何かに諦めをつけた目で皆の輪から一人だけ外れていた。
「私、これから、貴方の力をたくさん借りると思う」
 月の光に透ける身体。腕組をして見下ろすサンダルフォンは、厳しい顔をしていた。私は、彼にしてみればとても頼りない存在なのだろう。
"……汝、力を求めるとき、我、現れようぞ"
 テオドアが以前云っていた。ペルソナにへりくだる必要は無いと、いかに強靭な存在が合体可能になったとて、それは私の心が強くなった証拠だから怯むな、と。
「ありがとう。何もしないで帰るのも勿体無いね、マハガルダイン、撃ってもらえる?」
 そこで彼、でいいのだろうか、サンダルフォンは僅かに口端を持ち上げるとその長く逞しい腕を宙に振るった。
 ゴゥ、と地響きを立てて一帯に湧き上がる豪風。夜風のない影時間に、少しだけ時間の流れというのが戻ったようで私は笑顔になった。突風は電線を大仰に揺らして、下階の窓ガラスを軋ませた。一応、みんなにもペルソナの特訓をすることは伝えているから、騒がないでくれるだろう。
「あははっ、あー……スッキリするねー……」
 座り込む屋上の床は埃っぽい。月を背負うサンダルフォンを見上げて、今も尚眠りについている"彼"を思った。
「ねえ、アカシャアーツであの月は砕けるかな?」
 地球上に存在していない月を砕くなんて、いくらなんでも無理だ。彼は頭上の月を見上げて、首を振る。わかってるのに、心がひんやりと冷えていく。

 と。

 ガァンッ!とぶち破らんばかりの力で屋上の扉が開かれた。イレギュラーか、それとも"奴ら"かとサンダルフォンを待機させたら、血相を変えて現れたのは真田先輩だった。
「ハッ、ァ、――はっ、だ、大丈夫か?!」
「……え?」
「ァ、はぁ……あ……?」
 パジャマなのだろうか、有名スポーツメーカーのスウェット上下に武器と召喚器を持って慌てた様子の真田先輩が、きょとんとした顔の私を見てきょとんとしている。彼は、私の頭上に浮いているサンダルフォンに少しだけ警戒したようだったけれど、それが私のペルソナだと気がつくと一気に力を抜いて扉の前にしゃがみ込んでしまった。
「え。あれ。せんぱい?」
「〜〜……おーまーえーなぁー……」
 もしかして、イレギュラーだと誤解したのだろうか。特訓すると皆に伝えたはずだったけれど、どうやら夕方のロードワークに出ていた真田先輩には誰も教えてあげなかったみたい。うわわ。
「ごめんなさい、あの、」
「……あ゛ー……もう、いい…」
 つかれた。武器と召喚器を放り出して、先輩は扉に背を預けると両手足を投げ出した。これは、順平的にはお疲れ侍って云う場面かしら。そんな冗談は云うつもりもなく、私はサンダルフォンを仕舞うと、真田先輩を手招きした。
「こっち、きませんか?」
 自室の冷蔵庫から持ってきたペットボトルをかかげる私に、真田先輩はもう一度ため息を吐いてゆっくりと立ち上がった。足元はシューズですらなくて、つっかけサンダルでシャドウと戦うつもりだったのかとおかしくなってクスクス笑う。ばつの悪そうな先輩が文句のひとつでも、と口を開くのに合わせて、冷えたペットボトルを差し出す。
「心配かけてごめんなさい。これ、冷えてますから」
 手首をつたい落ちる水滴。階段を駆け上がってきたらしい彼は、グッと咽喉を詰らせながらもしぶしぶ私の手からペットボトルを受け取った。いつもは武器を着ける前にきちんと巻かれるテーピングが、今日は無くて、制服時の皮手袋も無くて、素の指先が触れた。ほんのりと温かくて、思わず掴みそうになってしまった。人肌恋しい、ってやつだ。
「何をしていたんだ」
 影時間に、一人で。道路には気味悪い棺おけが何個か立っている。傍らには自転車が転がっていたり、バイクがあったり。電柱を、壁を、赤い液体状のものがどろりと流れているのが見える。あれって、血なのかな……。
「んー…ヒミツの特訓デス」
 そういう類のことはこの先輩は嫌いじゃないのだろう。呆れた様子もなく、むしろ感心した声で「へえ」と云う。お前は所持するペルソナが人より多いから大変だろう、とか俺でよれけば相手になるぞ、とかどこかスイッチが入ったみたい。熱血もここまで来ると、正直面倒くさいなあ。顔が良くても残念な人、と考えながら、
「先輩に手伝ってもらったら、ヒミツじゃなくなっちゃいますよ」
「それもそうか……ふん、残念だな」
 もしかしなくても、一度手合わせしてみたいとか思われていたりするのかな。ううん、と唸る私の隣で、ペットボトルに口をつけた先輩が月を見上げる。忌々しそうに舌打ちをした。
 虫の鳴き声も、風の息吹も、生命や自然を実感させる要素の薄いこの時間帯は、まるで私たちの方が不自然な存在であると思わされる。
 そうしたら、吸い込む酸素から肺に蔓延る影時間の邪気が、私の心に小さな影を齎した。
「先輩」               
 これから起きることが全然見えてこない、力を付けても結局大切な仲間だって守れなかった。異質な空間に異質な私たち、先輩の横顔を、月の光が青白く照らしている。振り返る真田先輩は、どうして、
「どうして、先輩はそんな風にいられるんですか」
 "彼"と先輩は本当の肉親同士よりもずっと近い、深い絆で繋がっていると感じられた。先輩と"彼"の間で会話は少なかったけれど、ツーカーっていうのかな、戦闘中の阿吽の呼吸は惚れ惚れするほどだった。
 順平と二人できゃんきゃん二人の周りを騒いで回って、凄い凄いと連呼するのをどこか居心地悪そうだった"彼"と、うるさいと怒った先輩。けれど、顔を見れば分かる。誰よりも、"彼"が隣に居て心強そうな顔をしていたのは真田先輩だ。
「分かります。ペルソナがポリデュークスからカエサルに成長したのは、先輩がもう乗り越えたからこそ起きたことなんだって、分かるんだけど……納得は、できません」

「大切な人を失って何故前を向けるんですか?強さにできるんですか?妹さんのことは、まだ乗り越えきれていないのに、荒垣先輩のことは、強さに変えられるんですか?」
 言葉に表れる心の影、ザワザワする。ペルソナが鳴いているみたい。
「私、正直わかんない。私だって頭の中ぐちゃぐちゃだし、泣くなって云われたけど何度も泣いたし、皆だって……皆、落ち込んでるのに……」
「シンジは、望んでない」
「望む望まないなんて話じゃないでしょう!?」
 一階のラウンジに居るメンバーに話しかけたとき、真田先輩だけが「シンジはそんなこと望んでない」って云って驚かせた。一番落ち込みそう人が、一日二日で立ち直るなんて。信じられない。
 荒む声の端が空気に流されていく。こんな感情になること、ここに来て初めてだった。
「悲しいとか寂しいとか、ストレガが憎いとか、そういうのって必要ない感情?荒垣先輩が望まなくったって、感じて当然じゃないですか!」
 ジンジンする。拳が痛い。心も痛い。こんなこと云いたいわけじゃない。けど、
「みんなの反応の方が、普通なんです……先輩は…、」
「俺は?」
「真田、せんぱいは…」
「……薄情だ、といいたいか」
「違う。けど、……わからない、先輩のことが」
 桐条先輩とは別な意味で、真田先輩の判断は冷静すぎる。自分を省みずに前だけを向き続けろ、と荒垣先輩が私たちに云うだろうことは誰だって分かってる。しかし頭で理解できることと、心が納得できることは別だ。私は心がついてきていないんだ、だから皆、タルタロスに行こうとしない。敵はハッキリしているし、強くならなきゃいけないのに、動けずにいる。
「俺は、」
 膝を抱えていると、頭の上で小さな声が呟いた。
「……俺は、執着が無い。人も物も、いずれ自分の手元から無くなるものだと思ってる」
 柵のついていない屋上、真田先輩はそのギリギリのところに足をかけてぼんやりと下を見下ろしていた。
「美紀を失ったときから、シンジだけが兄弟のような存在だった。けれど、人間は、死ぬんだ。俺はそれを、よく知ってる。だから、執着しないと決めた」
 私に聞かせているのか、独白のような呟きは続く。
「それでも、失って悲しくないわけがない。……アイツは俺にとって、最後の家族なんだ、悲しくないわけ、ないだろう」
「せんぱ……、」
「けれど、そこで立ち止まってても仕方ないんだ。まだ、シンジは生きてる。目を覚まさなくても、そこに居る。美紀のときとは、違う」
 目蓋を閉じた先輩が、今にも屋上から足を踏み外してしまいそうな気がして、私は真田先輩の手を下から握り締めた。力をこめて、コチラに身体を寄せさせる。
「まだ…生きてるんだ。シンジは」
「……はい」
「どうして、立ち止まっていられる……?」
「――はい、」
 握り締める手に力が加わった。先輩と手を握り合ったまま、暫くの間、黙って視線を合わせる。色素の薄い瞳には、影時間なのに澄んだ綺麗な光が浮かんでいた。
「たとえ、シンジが死んだとて、同じだったとは、思うがな。俺は、……」
 ポツン、置き去りになる言葉。真田先輩は俯いて、笑った。
「自分で決めたこと、でも、シンジにすら執着しなかった俺自身に、驚いてる」
 ああ、そうか、こういうのを薄情と呼ぶんだな。
 真田先輩は、握り合った手に視線を被せたままじっと口端を歪ませる。
「本当は」
 細く形の良い眉がくしゃりと皺を刻んで、目元が滲んだ。先輩は、笑ってる。
「皆のように、沈み込んでいたい」
 
 失うことに、慣れたくなんてないんだ、本当は。
 
 笑い声を上げた真田先輩が、つまらない話をした、と手を解いて立ち上がろうとする。
 私は、私が泣きそうだった。八つ当たりをしてしまったことを後悔するとか、真田先輩が心で泣いてるんじゃないかと思ったとか、理由は色々あるかも知れない。けれど、衝動的に、彼を胸の中に抱いていた。
「……、、」
 僅かに震えて、驚いているのだろうが頭を抱える私の腕を振りほどこうとはしなかった。少しだけ身じろいで、真田先輩は、私の胸に耳をあててそっと、腕を背中に回してくれた。
「……ちょっとだけ、」
「……」
「こう、させて下さい」
 自分のワガママを押し通す形で、私は真田先輩を抱く腕に力を込めた。
 温かい手が背と腰を抱き、同意を示すようにポンポンと二回、肩甲骨の下らへんを叩かれる。真田先輩の呼吸が、胸から伝わってくる。見た目よりもずっと柔らかい、短い髪に頬を乗せて、目を閉じる。影時間の中、人と触れ合う機会なんて無いと思ってた。
 真田先輩の丸い後頭部。滑らかな感触を指先で掬う。どこにも絡まることなく指の間から流れる短髪が気持ちよくて、手の平を使って優しく、やさしく撫でた。
「……、」
 胸の中から、くぐもった声がしたような気がする。
 きゅう、と腰にかかる腕が力を強めて、私たちはさっきよりもずっと密着し合った。何だか熱くて、ほう、吐息を零す。
、」
「……はぃ?」
 心地良さにまどろむ私の耳に、低く掠れた声が届く。
 真田先輩は私の心臓の上に耳を寄せて、云った。
「暫く、下、向くなよ」
 見下ろす私の目には、真田先輩の短い前髪とか、皺寄った眉間とか、薄いチュニックの胸に埋もれる先輩の鼻先とか、そういうのが見えた。けど、見ないフリをしたものも、そこにはあった。

 私は黙って

 真田先輩の髪を、撫でた。

 

 

「影時間が明けますねえ」
「……ああ」
 泥が沈殿するように溶けていく影時間の闇、うっすらと太陽の欠片が顔を出す。私たちは屋上の端に立ったままぼんやりとその光景を見ていた。こっそり見上げた真田先輩の横顔は、朝日に照らされていてほのかに赤い。そこには、先ほどの名残はちいとも見出せなかった。……ちょっとだけ、残念だと、思った。
「そろそろ戻るか」
 かし、前髪をかき混ぜて、足元に置いた武器と召喚器を取り上げる。
「真田先輩」
「ん?」
「荒垣先輩が、新しいペルソナを私にくれたんです」
「……うん」
 サンダルフォン、ユダヤ伝承の天使。彼には役割がある。
「そのペルソナ、人々の祈りを神様に届けてくれるんですって」
 新しいペルソナを作るたびに、テオドアが丁寧な解説をしてくれる。"彼"の腕時計が運んだ新しいペルソナの伝承を聞いたとき、私はそれを聞いたとき、一つのことしか考えられなかった。
「荒垣先輩が目を覚ましますように、って、届けてもらおうと思います」
「……そうだな」
 朝日の眩しさに目を細める真田先輩に、私はようやく、笑顔を見せられた。

 屋上から出ていく背中の後を追い、扉を閉めるとき。
 そっと手を添えたチュニックの胸元は、まだ少しだけ、湿っているようだった。

男主では、実は真田サンが一番良く分からない人だった。女主選択できるようになって、
ちょっと分かってきた気がする。こういうこともアリなんじゃなかなーと思ったり。して。