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恋に墜ちる前に

 

1.違和感とその理由

 長鳴神社で小学生の舞子ちゃんと遊び倒した夕方、意外と寮からもそう離れていない彼女を家の近くまで見送った。両親の事情に板ばさみにされた彼女は、やはり両親の離婚が原因で近い内、住み慣れたこの街を離れるのだと聞く。元気で、素直で、はつらつとした笑顔が眩しくて、通りかかる近所の人には稀有な目で見られはしたけれど、私は舞子ちゃんと公園で遊ぶのが大好きだった。
 帰宅途中、コンビニエンスストアに寄る。雑誌コーナーを流し見てデザートコーナーへ。今ではうちカフェっていって、家でも美味しいスイーツが食べられるよう工夫されたデザート類が陳列されている。いつもすぐに無くなってしまう新商品を二つ、お気に入りを二つ、計四つとアップルティーの紙パックをカゴに入れてレジへ。スナック菓子も欲しいな〜と思ったけれど、確かストックがまだあったはず。柿ピーだけど、まあいっか。
 少し前に風花から貰ったイヤホンを耳につけて、いつもの音楽。いつもの帰り道。夕日に照らされた物の姿が影の中に段々と隠されていく。綺麗なオレンジ色。静かな住宅街に、ガサガサ、ぶらさげたビニール袋の音がさざめいた。
「あ、おかえりー」
 ふう。整形された爪先に息を吹きかけるゆかりが、吐息の合間から迎えてくれた。ただいま、と日課になっている入寮者名簿に記帳していると、すぐ傍の玄関が開いた。
「おかえりなさい」
「ああ。ただいま」
 使い込んだ学生鞄とボクシンググラブの入った袋を片手に、真田先輩が帰ってきた。
 今夜の夕食も牛丼らしい、四角四面で食生活にもうるさそうなのに、案外無頓着。じい、と手元を見ていることに気がついた真田先輩は、長い睫毛を瞬いた。
「何だ」
 何かあることを前提に決め付けた聞き方。0か100かしか無いのだろうか、意味など無い視線を問われても、答えに窮するだけだった。私がいいえ、と首を振ると、真田先輩はもう一度頭の上に疑問符を飛ばした後で、自室へと向かった。牛丼のパックは奥のカウンターに置かれた。また戻ってくるのだろう。
「ゆかりッチ」
「もう、までその呼び方。順平に毒され過ぎ」
「可愛いものには愛称をつけたくなるのよ。ね、これから時間ある?」
 マニキュアを塗り終わったらしいゆかりは、上手く塗れた指を満足げに見ながら「タルタロスは?」と訊ねた。今どきの女子高生をしているけれど、出てくる言葉は殺伐としてる。
「んー、今日は無し。ちょっと話聞いてほしいなーって。部屋いーい?」
 ちらりと見上げる視線は私から何かを感じ取ったのだろうか、マニキュアの小瓶をまとめ持って、ゆかりは私を促した。男子と一緒だと場所変えなきゃで面倒よね、軽口を叩きながら二人で階段を上がれば、真田先輩と二階の廊下で鉢合わせた。
 思わず黙り込む私の代わりに、ゆかりが云う。
「今日タルタロス無しですから、真田先輩から皆に伝えてもらえますか?」
「……別に構わないが、どこか行くのか?」
「ちょっと女の子の話をしに」
 途端に呆れ顔になる真田先輩は何か云いたげなため息を吐いた。タルタロスを休むほどなのか、と云いたいのだろう。けれど女子に口では敵わないことも重々理解しているらしく、わかったわかった、と皮手袋の手を振る。
「ああ、そうだ。
「は、い?」
 さっさとゆかりの部屋に行きたかった私は、先に三階への階段に足をかけていたところを呼び止められる。真田先輩は、ちょっと笑って云った。
「はがくれに裏メニューがあるらしいんだ、今度試そうな」
 月曜日と金曜日は密かに真田先輩の日って決めていた。二回三回と回を重ねる内に先輩の中でもそれが定期化したのだと知るに至り、心がぽわんと温かくなる反面、きゅうと押さえ込まれるようだった。
「生徒会とか、無かったら」
 私は振り返ることなくそれだけ云い、階段を駆け上がった。ゆかりが来るまでが、ちょっとだけ長く感じた。

2.愛なんてものも誰かの熱も望んでなどいなかった、はず

 小さなテーブルの上にビニール袋の中身を広げて、指先でお菓子の表面をつついているとゆかりにパシンと頭を叩かれた。アップルティーを注ぎ分ける用のグラスを持った彼女が呆れ顔で座り、しかし新商品の甘味を前にテンションを上げる。
「このシュークリームおいっしそー!エクレアもいいなあ…、、半分こしよ?」
 同じロールケーキが二つと、数量限定のケーキが二種類。結局幸せな選択肢を決めきれなかったゆかりは、こういうときのために常備している果物ナイフを片手に云った。
「で?さっきはどーしちゃったの」
 人との会話を途中で投げ出し去っていくタイプではないと思われているらしい。
 私は滑らかなラグの上、抱えた膝に顎を乗せてため息を吐いた。
「……真田先輩と話すの、何か最近疲れる」
「私は最近じゃなくても疲れてたけど、は珍しいじゃない。何かあった?」
 真田先輩から夕飯に誘われるくらい、親しくなったんじゃないの?と続く。私は、その親しいという言葉に過剰に反応してしまった。
「別に、ヒマしてるなら放課後付き合うかって云われるから一緒に居ただけだし」
「それが既に、親しいってんじゃないの。てかわざわざ真田先輩でヒマ潰すが信じられないけど」
 真田先輩で、というのは失礼だと思うが、ゆかりはさして気にした風もない。
「だってさあ、いくら同じ寮って知られてるとはいえ、真田先輩よ?面倒なのはあの人じゃなくて、周りでしょ。や風花が入ってくるまでは私と桐条先輩だけだったから、桐条先輩は一目置かれてる、っていうか誰も手出しできない分、私ばかり針の筵。お陰で真田先輩苦手になっちゃった」
「ああ……やっぱり苦手なんだ」
「んー正論や理屈っぽいトコは置いといて、一番は女子がめんどーってトコがね。先輩が直接悪いわけじゃないんだ。頼りになるし、嫌いじゃないけど、仲良いって周りに思われたくないよね」
 しゅく、シュークリームの柔らかい食感の中に埋まる唇。
「ゆかりは、最初からなんとも思ってなかった?」
「どういう意味?」
 明け透けな物言いを苦手がる男子は居るけれど、ゆかりはモテる。何気ない放課後の誘いや、実際の告白も順平曰く結構あるらしいのだ。しかし誰とも付き合う様子の無いところを見ると、彼女の"過去"が柵として絡み付いているのかとも思うが、誰かを良いなと思ったことが本当に無いのか、やはり気になる。
「ああ、うーん。どうだろ、真田先輩って有名だったし、初対面は確かにね、整い過ぎてる顔だなあとは思ったかなあ」
「それだけ?」
「私、もうちょっと線細い系が好きだからさあ。先輩って細マッチョ系じゃない?ちょっと違うんだよねえ」
 デジャヴ。夏合宿の告白大会のとき、裕子が非常に似たような好みを上げていた。誰か具体的なモデルがいそうだと思っていたけれど、ゆかりも。不思議な一致だなあと心の中で思うに留めて、私はそっかあと呟く。
「何か真田先輩の陰口叩いてるみたいになっちゃった」
「ああ、ごめん、そんなつもりじゃなかったんだ」
 ゆかりの苦笑する顔に慌てて手を振り、切り分けたエクレアを勧める。
「私のことはどうでもいいんじゃない?、何話したかったの?」
 かしゅ、口内に広まる甘みに頬を綻ばせながら、ゆかりは訊く。
「何て云ったらいいか、わからないんだけど」
 口をつけたマグカップ、冷たいアップルティーで咽喉を潤して、私は云った。
「最初は、なんでもなくて、順平と行くみたいに、一緒にご飯食べたり、帰ったりしてたんだけど。なんか、最近は、二人で居るのが苦しいって、いうか。何喋ったらいいんだろうとか、一緒にいて迷惑じゃないかなとか。差し入れに何持ってったらいいと思う?って相談されるのも、イヤだし、なんか、よくわかんない」
「ん。ちょっと待って、やっぱり話って恋バナ?」
「………こい?」
「いやいやいや。えー、そこ疑問系にするの?」
 可愛いクッションを膝に抱えたゆかりは、髪を耳にかけながらちょっと首を傾げた。
「今まで好きな人とかいなかったの?前のガッコで付き合ってた人とか」
「一人、いた。けど、よくわかんない。キスもしなかったし」
「……ふうん。うーん、てかぶっちゃけ、今の話真田先輩じゃん?」
「……………、」
 応えに困窮する。行き詰る私に、ゆかりは笑った。可愛いとこあるね、って。

3.警告音

 用意したデザート類を全部お腹に納めて二人、何か音楽でもとゆかりがオーディオプレイヤーを操作する。すぐに流れ始めるちょっと前の流行曲。私は基本的に洋楽ばかり聴いているから、少しだけ新鮮だった。
「恋じゃないと、思うんだけど」
「まだ否定するか」
 真田先輩じゃ不服?と笑うゆかり。というよりは、恋という単語が自分のものとしてしっくり来ないのだ。
「けど、最近、避けてる…。月金は先輩のトコ行ってたけど、ここ二週間、行ってない」
「意識しちゃうから、今まで通り接することができないんでしょ?」
 そんなもんだよ。ゆかりは、私の話が重たいものじゃないと知るとほっとしたようで、リラックスしながら話を聞いてくれていた。
「……戦闘中、かばわれると、少し、嬉しい…」
「この間は執事服だったしね……あれはなんか、先輩が王子っぽかったよ」

4.まだ戻れる、だろうか

「S.E.E.Sとして活動してて、そんな気持ちで戦うのって不謹慎じゃない?」
「いいんじゃないの?シャドウとの戦いってさ、先行きも見えないし不安じゃない。だから好きな人が近くで一緒に頑張ってると心強いし、励みになるし。何より、守るんだって意識が一層強くなるから困ることなんて無いと思うけど」
「……さなだ、せんぱい、」
「認められないと、もやもやするだけだよ」
 アップルティーを飲み終わったゆかりは、あとは自分で考えること、とそこで話を切り上げた。彼女の中では、私は真田先輩に恋をしていることで決定稿が押されたらしい。
 真田先輩を意識していることに違いないから、じゃあこれからはなるべく冷静に対応するよう心がけたら、その内収まるんじゃないかなって高を括る。無意識だから意識しちゃうんだ、意識してると自覚して意識しないように努める、そうしたらすべてが元通りになると、思った。

5.もう手遅れだと君は笑った

 後日、場所改めタルタロス内部。
 今夜の探索メンバーは私、ゆかり、順平、そして真田先輩だ。最近ではペルソナ能力保持者が続々と見つかり、メンバーの追加が相次いだ。それにより探索隊も新規メンバーを中心に構成していたため、春先から居たメンバーだけで回るのも比較的珍しい状況だった。私が昨日作ったばかりのペルソナの弱点などをみんなに教えていると、真田先輩が何かに気がついたような声を上げた。

「はい?」
 ゆかりの部屋で一頻り話した後から、私はまた以前のように真田先輩と接することができるようになった。月金は相変わらず一緒に帰宅するし、はがくれの裏メニューも二人で試した。休日も出掛けるようになった。ゆかりには、付き合い始めたの?とからかわれる程、距離は前よりも近づいたみたいだ。
「ちょっと動くな」
 三人の輪から外れたところでシャドウを警戒していた真田先輩は、右手の武器を外しながらこちらへ来た。けれど片手には召喚器が握られていて、私を含め順平とゆかりは一体何をするつもりだとハラハラしながら見守る。真田先輩は、時に唐突なことをしでかすから怖い。
「カエサル」
 パリンッ、硝子の割れる音に続いて先輩の頭上に現れるカエサル、先輩は武器を外した右手を私の頬に触れさせて、柔らかく目を閉じた。
「――、ディアラマ」
 ふわっと温かい空気が私たちを包み、光のベールが先輩の手から私へと広がってくる。力を込めずに、頬を包み込まれながら回復魔法を唱えられた。真田先輩の指先が触れた瞬間にチクリと走った頬の痛みは、カエサルが消えるときには綺麗に無くなっていた。
 再び武器を装着する先輩の目の前、私は先ほど触れられていた頬に感じるあまりの熱さに手を寄せた。それをどう取ったのだろう、真田先輩がため息と共に云う。
「傷をつけたままにするな。跡になるだろう」
「せんぱい」
「お前は、俺や順平とは違うんだ。もっと気をつけろ」
 それだけ云って、またさっきの場所まで戻っていく。私は、頬が熱くて熱くて、仕方なかった。私だって、ゆかりだって回復魔法は使える。むしろゆかりの方が真田先輩よりも強力な回復魔法が唱えられるのに、いやそれよりもわざわざ触れなくても回復はできるのに、どうして。今の、何。今の、どういう意味。
 この間、はがくれで云われたことを思い出す。

『お前が…お前が、戦わないわけには…いかないのか』

 私の戦い方を見て、傷を作っているのを見て、彼はまたハラハラしていたのだろうか。

『分かってんだ、要は。要は、心配…なんだよ』

 しん、ぱい。

 ぼんやりと真田先輩の背中を見送る私の肩を、両方からポンッと叩く手があった。赤い顔のまま振り返れば、どこかにこやか過ぎる表情を浮かべたゆかりと順平で、彼らはポンポン、と二度肩を叩いて真田先輩の元へと駆けて行く。
「さっなだサーン。俺にも回復魔法かけてくださいよー」
「お前男だろ。傷薬で十分だ」
「私も女なんですけどー。ばっか気にするんですかー」
「岳羽……お前は自分でできるだろうが…」
「んっもー。ッチは特別なんだー」

 とくべつ。

 カア、と益々頬に赤みが増して、二人の後ろから真田先輩を見上げていたら、順平の冗談を一喝した真田先輩は、同じように真っ赤な顔でこちらを見た。視線がかち合うと、彼は慌てて目を外して先を進んでしまう。

「ゆかり」
「こりゃ、手遅れなのはだけじゃなさそうね」
 そう云って、ゆかりはにっこりと笑うのだった。

恋バナin女部屋、は女主の醍醐味だと思う。