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大丈夫って絶対嘘。

 

「うわ、手帳くっろ!」
 お昼休み、F組。三色コロネとカツサンド、剛健美茶を机の上に、もくもくと口いっぱいにパンを頬張りながら分厚い手帳とにらめっこしていると、窓側でグラウンドを眺めていた順平が何時の間にか目の間に立っていた。
 私が開いていたのは手帳の最後のメモページで、そこにはペルソナの合体表とか、魔法の名前と効果・効力を書き記してある。私は人よりも降魔できるペルソナの数が多い分、所有する魔法も多様なのだ。
「ひぇ〜……すげぇ数の魔法だな。これで全部なん?」
「多分もっとあるんじゃないかなあ。good, better, bestみたいに効果が上がるだけなら分かるけど、イキナリ"刹那五月雨撃"を覚えたって、私、音だけ聞いたとき、『切なさ乱れ撃ち?』って思っちゃったもん」
「だはははは、その魔法見てみてぇな!!」
「心がすり減っちゃうカンジ?んま、だから暇なとき書いてるんだあ〜」
ッチはマメ子ちゃんだねえ」
 パックのいちごミルクをストローで啜りながら、順平は手前の席に腰かけるとしげしげ、興味深そうに手帳を覗き込む。色とりどりのペンでびっしりと書かれた表を糸目になって見ている順平がおかしくて、私はこっそり笑う。
「愚者×永劫×審判……なんか、江戸川あたりが喜びそうじゃん」
「江戸川先生といえばさあ、私いっつもワザと質問間違えるんだよね〜」
 メモ帳の端に黄緑色のペンで江戸川先生の顔を落書きする。反射する眼鏡の奥の瞳が何故か見えづらくて、どんな目をしていたかあんまり覚えてない。あれだけ保健室に通っているのに不思議。ティシャツに白衣、右手に注射器の代わりに鎌を持たせてみたら、そのままペルソナにでもできそうな風貌。愚者か死神か。悪魔かも。
「そうだろな!お前いっつもニヤニヤしながら答えてるもん、分かるぜ!」
「だって、校長のカルマを一年分転載、桶狭間で死んだ武士が守護霊とか、ウケるよね」
「俺が一番好きなのはアレだな。オーラが茶と水色のチョコミント色!」
「なってみたぁーい。可愛いー」
 落書きした江戸川先生の周りに水色のペンでくるくると水玉を描いた。ちょっと可愛い。カツサンドの最後の一口を食べて三色コロネの袋を破くと、順平の手に手帳を奪われる。見られて困る内容は無い。適当にしたいがままさせていたら、彼は帽子の鍔を頭の後ろに移動させて、ちょっと目を見開いた。
「カラドボルグ……176,000円…俺の武器たっか!」
「あ。ちなみに今装備してるのはマサカドってペルソナと合体させた武器なんだよ〜」
 流石に水着に三十万円も出してます、なんて云えない。そこまでして俺様の水着姿が見たいお前は何者なんだって云われそう。自前じゃ防具にならないから買うんだけど、真田先輩の水着は買うの恥ずかしかったなあ。
「武器合体もできるわけ?どーやんの?」
「……知らない」
 売店の三色コロネは美味しい。ぺろりと一つ平らげると、私は両手を合わせてご馳走様をする。十月以降私の左腕で時を刻んでくれている華奢な時計で時刻を確認して、私は順平を振り返った。
「ちなみに順平の今夜の予定は?」
「あらヤダ夜這い?夜這い?鍵ならいつでも開いてるからウェルカムだわよ」
 まあ、と両頬を包んでくねくねする順平を白けた目で見て、私は一応の釘を刺す。
「ばーか。放課後ー」
「今日は見たい特番があるから早めに帰りますなあ」
 飯なら明日ならオッケーだから誘って、人の良い笑顔で順平が云うのと、お昼終了のチャイムが鳴るのはほぼ同時だった。彼は机の上に散乱していたビニール袋と剛健美茶の空ペットボトルをまとめ持つと、自分のゴミと一緒に捨てに行ってくれる。何気ない優しさは嬉しいけれど、そっか、また一人かあと内心の憂鬱をため息に変えて、私は授業教科書を取り出した。

「黒沢さん、こんばんは」
「よう、来たか。丁度いい今日は気分が良いんだ、安くしてやるぜ」
 いつも装備品を仕入れてくれる辰巳東交番所の黒沢巡査は、ほっそりした輪郭に収まる薄い唇に微かな笑みを乗せて迎えてくれた。相変わらず渋いなあ、何歳なのかなあと考えながらいつものように奥の部屋へと向かう。
 以前は表のカウンターで選んでいたのだが、制服姿の私が交番に長時間入り浸り、大金と不穏な武器をやり取りする姿は世間的に頂けないと、今ではお茶の間のような待機室で行うようになった。
「近所のバアさんに押し付けられた菓子があるんだ。食わねぇか?」
 ぶっきらぼうな口調はどことなく帽子の先輩に似ている。けど優しい人なんだって分かるから、私は武器のリストに目を通していた顔を上げて、「是非っ。お腹ぺこぺこなんです」とにこやかに返す。
 出前の丼が重ねられたシンク横、冷蔵庫からお茶菓子の箱と後光の紅茶を出して、防具リストの隣に置く。彼は今の時間表に立っていなくていいのかな、他の巡査さんに立たせている黒沢さんは、私の手前に腰かけた。珍しく警邏帽を外して、帽子クセのついた前髪をかき上げながら云う。
「金は大丈夫か?この間足りなかったろう。あれどうした」
「あははは、順平にはちょっと前の防具で我慢してもらってます」
「……男か。なら大丈夫だな。女から先に揃えてやれよ」
 鋭い視線がほのかに和らいだ。こけた頬や目元の厳しさ、少ししゃがれた低い声。これって大人の男の魅力だよねえ、って口元を綻ばせると、黒沢さんにお菓子を勧められた。薄皮まんじゅうだ、美味しい。
「何だ、これ?」
 私の手元を見止めた巡査が訊ねる。やはりここでも感嘆する声が聞こえた。
「見たことのないものもあるようだが……」
「それは別ルートで」
 タルタロス内部で拾ったものや合体武器はなんと説明していいか迷い、結局お茶で濁す形になった。黒沢さんは口端を持ち上げて頷くと、警邏帽を被り直す。
「ま、追求はしねえよ。お前さんらに助けられてんだ、目を瞑るさ」
「恩に着ますー……あ、シルバープレート欲しいなあ…コレと、あとは、」
 次々と指差した品を黒沢さんが用意する間、購入資金を鞄から取り出した。ああこの大金を欲しいCDや服に使えたらどれだけいいだろう、って何度考えたか分からない。戻ってきた黒沢さんの手には、大きめの荷物が抱えられていた。
 大人の男の人にも手一杯の荷物に、少し、気圧される。
「……まだあるぞ。持って帰れるか?送った方がいいならそうするぞ」
 一度、入荷された鎧を人数分買わなければいけない時だけ後日送ってもらったことがある。その時は急いでいなかったからいいけれど、今回は急を要していた。
「ったく、仕方ねえな。菓子でも食って少し待ってろ」
 黒沢さんはそう云い、リスト分の商品を用意したあとで表へと戻ってしまった。こちらから見える入り口の窓は、すでに薄暗い夜の空気に包まれ始めている。どうしたものかと唸り、傍らに置き去られた武器と防具を眺めてもう一度、唸った。

ちゃん、お迎えだ」
 大人の男の人にちゃん付けで呼ばれるっていいよねえ。そう、いつからかお前さんが嬢ちゃんになり、さんからちゃん付けになったことを内心喜んでいると、"お迎え"に呼ばれた人が顔を出した。
「あれ。真田先輩」
「黒沢さんに呼ばれたんだ。、どうしたんだ?」
「どうしたじゃないだろう。女の子にばかり押し付けるんじゃねえよ」
 学校帰りらしい真田先輩の後ろから、彼の頭を軽く叩いた黒沢さんが受話器を片手に現れる。彼はタクシーを呼んでくれたらしくて、三人掛かりで梱包された鎧などを表まで運び、車を待つ。
「黒沢さん、ありがとうございました」
 昼間感じていた憂鬱が消し飛ぶ心遣い、益々この渋い巡査さんに惚れちゃいそうだよと思いながらペコリ、頭を下げる。黒沢さんは腰に手をあてて、荷物を運び入れ終わった真田先輩に向かうように云う。
「男手は有効に使わなきゃダメだぜ。特にそいつにはトレーニングと思わせりゃいい」
「え。あ、いえ、そういうわけにも、」
「……行くぞ」
 心なしか不機嫌な声で、真田先輩は先にタクシーに乗って私を促す。部活後みたいだし、やっぱり迷惑だったよなあと二人きりでタクシーに乗るのを怖がると、
「ああ、ちゃん」
 呼び止められて振り返ると、思いの外近くにいた黒沢さんに少し驚いた。彼は悪戯な顔をすると、短く耳打ちする。
「口実は上手く使うんだぞ」
 低い声が囁く内容は、私の顔からアギダインを撃たせるに十分だった。
「なっ、なななな、な、なに、何云って!!!」
「――、何してるんだ」
「今度から二人で来るといいって云ったんだよ、じゃあな」
 真っ赤な顔のままおっかなびっくり真田先輩の隣に乗り込む私は、車が発進する間際、黒沢さんが笑っているのが見えた。

 タクシー車内は予想通り会話は無く、振動にカチャカチャ武器が音を立てる以外、車内ラジオが掛かっているだけだった。車だとあっという間に見慣れた住宅街まで辿り着く。
 私はチラリと、隣で頬杖をついて外へ顔を向ける先輩を盗み見た。交番を出てからずっとこの調子で、それ程呼び出されたのが嫌だったのかと落ち込んだ。
「あの……真田先輩」
「――なんだ」
 声も固い。ああもう、ちょっと泣きそうだよ。
「その、今日は、手伝ってもらって……あの、ごめんなさい」
 みんなも手伝ってくれればいいのに、と思って順平に頼もうとしたのは確かだし、たまにはゆかりなどに同行してもらうこともある。けれど黒沢さん経由で呼ばれるとは思わなかったから、義理は無いと思ったが一応、謝った。
「急だったから、疲れてたんじゃないかなって」
「……いや」
 些か困惑した面持ちで言葉を濁し、真田先輩はタクシーを寮へと誘導するため会話を切った。それ以降タイミングを失った私は、結局このことについて何も解決しないまま寮に着くまで口を閉ざさざる得なかった。


 購入した武器や防具類は付箋に名前を書いて一階のラウンジに置いておく。各メンバーにはこうして自室まで運んでもらうやり方で落ち着いているのだ。私と真田先輩で入り口まで運び入れると、カウンターの机に回って付箋を探した。
 マジックで美鶴さん、と書いているとき、カウンター越しに真田先輩に呼ばれた。
「はい?」
「これから、荷物が多くなるときは美鶴にメールをしてくれ。桐条の車を手配してくれるよう頼んでみる」
「え、……できるんですか?」
「桐条から託された戦いでもあるんだ、手は貸してくれるだろう」
「それは正直、凄く助かります。武器とか、ちょっと大変だったり、したので」
 薙刀や槍、鎧は嵩張る上に目立つし、自転車には乗らない。大助かりだ。ホッと胸を撫で下ろしていると、真田先輩はちょっとだけ眉を顰めて口ごもった。
「その、……最後、黒沢さんに、何を云われたんだ?」
 叫び声はしっかり聞こえたのだろう、真田先輩は視線を下向かせて私の返事を待っているが、いや、本人にそんな、云えるわけないじゃん?
「いえ、なんでも、ないです。ちょっとからかわれて」
「……仲、良くなったんだな」
 相手はずっと年上の男性で、仲良いという表現が適切か分からない。しかし嫌われてはいないだろうし、一目置いてくれていることは確かだから、曖昧に頷いた。首を傾げるように頷く私を見て、真田先輩はまたちょっと、不機嫌な様子。
「名前で、呼ばれていたしな」
「え?」
 ちゃん。渋い良い声が呼んでくれるのを思い出す。
「娘までは云いませんけど、妹とか、姪みたいな感じじゃ?」
 深い意味などあるはずがない。その答えに納得したのだろうか、先輩はやはり渋面のまま明後日の方を向いて、しかめっ面のままこう云った。

「……次行くときは、付き合う」

『口実は上手く使うんだぞ』

 真田先輩の声に被さって、黒沢さんの言葉がよみがえってくる。

「あ……はい。あの、是非」

 私は頬に集まる熱を感じた。湧き上がる喜びに、頬が緩みそう。抑えきれない嬉しさにはにかんだ。
 憂鬱だった調達から帰ってきたばかりなのに、もう、早く交番へ行きたくて仕方なかった。

黒沢サン大好き。お巡りさん属性好きすぎる。
失踪者依頼のお礼を受け取りに行くのが毎度楽しみなんだよぉぉぉ。
何故黒沢さんのコミュはないんじゃぁあぁぁぁ!!!!!!