ブラウザバックでお戻り下さい。

 

 

醜態晒してデッド・エンド

 

WHO'S WHO : case one <MAGICIAN>

 ゴトン。鼓膜に響く大きな物音に、反射的にギクリと体が持ち上がった。草臥れた敷布に手をついてぼんやりと視線を彷徨わせる。夢の続きに居るように自分の正体すら曖昧で、状況が瞬時には判断できない。
 ようよう気が付けば、そこは変哲ない寮内の自室だった。床上の制服の抜け殻具合も、見事なバランスの(と自分では自負する)DVDの山も、全てが記憶のまま在る。ただ、携帯電話だけが不自然なところに転がっていた。
 女性の叫び声が時おり混じる効果音を流すテレビは、先ほどから映画のメニュー画面を繰り返している。見始めた記憶はあるが、結末の記憶が無い。成程、映画を見ながらすっかり寝こけてしまったらしい。
 電気やテレビの類が正常に機能しているから、影時間の前なのだろう。俺はベッドの上で大きく伸びをすると、床に置いた烏龍茶のパックを持ち上げた。残量はストローで吸い上げるのも苦心する程少なかった。コーヒーが飲みたい、カップ麺が食べたい――高校生男子の胃袋たる欲求が膨らむ。
 数日前、多めに購入したカップ麺は座椅子の上、ビニール袋に詰められて一つの塊になっている。味噌、豚骨、塩、そういや韓国風焼きそばを買ったんだ、たまにはスープ無しの麺類も悪くない。はいよし、決定。
 こういう時ばかり行動に移るのが早い俺は、勢いをつけて立ち上がり、探し当てた焼きそばを持って意気揚々と部屋のノブを握った。
 ――と、そこで微かな違和感に立ち会う。
 現代人の性というやつか、無意識に携帯電話で確認した時刻は午後十一時過ぎ。天田少年は小学生らしく早寝だが、他の面子はまだ起きているだろう。そう考える間にも、違和感は明確な足音となり俺の部屋の前を横切った。やはり、少々様子がおかしい。
 足音は二つ、それも廊下の奥から階段の方へと向かった。奥には空き部屋の他は、真田サンの部屋しかない。
 パタ、パタパタ。スリッパの音が不規則に並び、最初の足音の主を追う声が荒々しげに俺の部屋の前を通り過ぎる。
(……ちょっと待て、か?)
 途切れ途切れの声を拾って紡いだ内容は意味を成す、が、不穏な空気は隠し切れない。いよいよもって出辛くなった俺は、それでも出歯亀根性むき出しで内開きのドアをそっと開いた。隙間から荒垣先輩の部屋が見える。
 現在は病院で療養している荒垣先輩の部屋の扉から、数歩先の壁。そこに違和感の主「たち」が居た。人影は一つ。彼らは重なり合っていた。
 いつも着ている赤いベストを脱いだワイシャツ姿で、彼の先輩は腕の中に誰かを包んでいる。それは、皆に隠してはいるが最近付き合いだした特別課外活動部のリーダーである少女だと、顔を見ずとも分かった。
 っていうかコレ、どういう状況? 先輩が無理強い(ナニのなんて野暮なこと云いませんよ俺は)してリーダーに逃げられたようにしか見えねんだけど。
 果たして真実が想像通りなら、彼女のクラスメイト兼、戦友兼、親友として放ってはおけない。例え結果的に馬に蹴られる羽目になっても、俺は真田サンなら彼女を大切に扱うと思って、関係を隠されるがまま黙っていたのだ。
 俺とリーダーの間に横たわる感情に恋心は無い。ただ、心配なのだ。花が咲くような端麗な容姿のわりに男顔負けの勝気さも、友のためなら相手が誰だろうと立ち向かっていく勇猛果敢な性格も、初めて男女の友情は成立するのだと思わせてくれた気安さも。彼女を形成する要素の全てが尊い。
 だから、真田サン「なら」と思ったし、真田サン「でも」と思う。
 切れ切れの言葉が聞こえた。先輩の体に阻まれて表情は見えないが、それはついぞ聴いたことのない、涙に濡れた声だった。
「――どう、して私なの? なんで、……私が」
 真田サンのシャツに深い皺が刻まれる。必死にたぐり寄せる細く白い指先にはシャドウに迫る勇ましさは微塵も無く、か弱く、儚く、男に縋りついて泣きじゃくるただの少女そのものだった。
「皆、ズルい……。綾時くんを殺、すとか、殺さないとか、そんなのってない。そんなの……! 話し合ったって結局――、結局、私が手を下すなんてッ」
 手に持ったカップ麺をその場に落とすところだった。恥も外聞もかなぐり捨てて嗚咽を漏らす彼女の言葉は、俺をその場に縫い付ける。

 今日は十二月二十二日、約束の日は迫っていた。

 真田サンが無理やりどうこうしようとした、なんて、とてつもなく下衆な想像だった。視界の中で彼は、普段の果断さが見る影もない小さな少女を隙間なく抱き留め、緋染めの瞳から溢れ出る涙を頬ごと包み込んで拭っては、優しく、本当に先輩の声かと疑うほど深く甘い声で囁きを落とす。
「――大丈夫だ、お前を独りにはしない。決断も結果も、罪も罰も、一緒に背負う。俺は、お前のためならどんなに汚れたって厭わない、我慢できないことは全部、全部が無理なら半分よりも多く、俺に任せろ。な?」
 二人のやり取りは、これ以上立ち聞きしてはいけないと引け目を負わせるが、その反面これまでの戦いで一度だって弱音を吐かなかった少女の本心が聞きたいとも思った。いや、後者の思いのほうが余程強かったのだ。
 先輩の首筋にがっちりと顔を埋める少女は、その後二言三言涙声の中に呟きを落としたが、それは唇を押し付けたシャツに吸い込まれてコチラまでは聞こえてこない。ただ、言葉の後で真田サンはサッと顔を赤らめてうろたえた。
 世界にたった二人しか居ないほどにきつく抱き合っていた身体が僅かに離れる。皮手袋を脱いだ手が熱く濡れる頬を撫で、壁と身体の間に挟んだ少女へと、そっと上体が屈められた。
 親友のそういう現場を見る趣味はこれっぽっちもない。だけど、ヤバいと思ったときには二人の顔は重なり合い、宥めるのとは異なる意思を持った腕が、男の腕が少女を固く抱きしめた。咄嗟に目を逸らし、慌てて扉の影に隠れる。
「明彦、さん」
 どんな顔で、男の情欲を煽りたてる声があの友人から出されているかなんて想像の範疇にも無い。二人きりのときは名前で呼ぶだろうってニヤけた考えをゆかり相手に話したこともある、が、実際に聞くことの違和感たるや。
「……ダメだ」
「お願い。一緒に背負ってくれるって云うなら、お願いします」
「それとこれとは……第一、そんなこと、俺がお前にできるわけ――」
 扉に背をつけているから真田サンの言葉が途中で途切れた理由なんて知るよしもない。そこに想像を巡らせることは避けたかった。頭の中でガンガン警報が鳴る。もういいだろって、彼女の本音は分かっただろうって。
「私、保っていられないんです。もう、イヤなの、自分がイヤになる……」

 だから。

 声は最後まで言葉を紡ぐことはなかった。その代わり荒々しい打撃音が廊下に響き渡って思わず、隙間からそちらを伺った。
「――わかった。けど……酷くは、できない。そんな風に、扱えない」
「ホント、優しいんですね。もっと、汚いって思われるかと、思ったのに」
 少女は自分の顔の横に押し付けられた手をやわらかに取り、ありがとう、と呟いた。感謝されているのにちっとも嬉しそうじゃない真田サンは、ただ首を横に振って、ため息を零した。本当はイヤなんだ、わかってくれ、とその唇が動いたように見える。少女は、笑っていた。
 真田サンたちはそれ以上は何も云わず、今度は足音も立てずに再び奥の部屋へと消えて行った。
 俺は扉に背を預けたままズルズルと床に座り込み、すっかり汗をかいた手の中からカップ麺を転がり落とした。

 もう、食欲なんてなくなっていた。

09'冬コミ・10'スパコミで配布したペーパーです。ずんぺ視点。